|
昔――今でもときどき、ふっと思うことがある。 もしかしたらわたしの見ていないところにもう一人、わたしにそっくりな誰かがいて、その人がわたしの知らないところでわたしのふりをしているんじゃないかということを。 本当だったらそれはとても怖いことなのだけれど、そんなこと実際にはあるはずがないと思っていた。 あの日までは。 +++ 「まりちゃーん、早くしなさーい」 一階から、ママの声がする。ほんとに早く支度をしなくちゃいけない。だって今日はパパが久しぶりに遊園地に連れていってくれるって言ってたんだもん。置いていかれるのは絶対いやだ。たぶん、パパもママもそんなことしないだろうけど。 「いまいくー」 わたしは下に向かって思いっきり答えた。答えたはいいんだけど、とても今行けるって感じじゃない。お気に入りの帽子が見付からないんだ。白くて大きなつばがついていて、水色のリボンがぐるりとかかっている帽子。去年、おばあちゃんがわたしの誕生日にくれた、大事な帽子。わたしはそれを、どこかにおでかけするときは絶対にかぶることに決めていた。今日も絶対その帽子をかぶろうって思っていたから、昨日からかばんや洋服と一緒にちゃんと用意して、ベッドのとなりに置いといたのに、今日の朝見たらなんでかわからないけど帽子だけなかったんだ。クローゼットとか机の下とか、探せるところは全部探したんだけど、全然ない。 なんでないの? ほんとに半分泣きそうになった。でももうこれ以上パパたちを待たせちゃ悪いから、しょうがないや帽子なしで行こうって思って、部屋を出ようとしたんだ。 そしたら。 ほんとにほんと、おかしなことが起こったんだ。 「ごめんなさい!」 ……下から、わたしの声がする! 「まりちゃん、支度はもっと早くしなさいね。パパ待たされて怒ってるわよ」 ママがそれにちゃんと答えている。 ……なんで? わたしはここにいるのに、しゃべってないのに、今行こうとしたのに、じゃあ下でママと話してたわたしの声は、一体誰がしゃべった声なの? なんで? なんで? 何が、起こってるの? 頭の中は「なんで?」っていう言葉でいっぱいになって、他になんにも考えられない。急いで下に行かなくちゃ。誰がいるのか見なくちゃ。でも体が動かない。びっくりしすぎて足が上がらない。そうやって考えてるうちに、がちゃん! って、いつもよりすごく大きく聞こえる、ドアの閉まる音と、カギを閉める音がした。 わたしのいる場所から、窓ごしに車とパパが見える。そっちにしゃべりながら歩いていくのはママと――白いわたしの帽子をかぶった、わたしのとおんなじような服を着た、身長も髪の毛の長さもまるっきりわたしみたいな、誰か! 「あ……」 ぽかーんとしてるうちに、うちの車はわたしを置いて、走っていってしまった。 遊園地まで。 ……なんで? 置いてかれた! しかもママもパパも、わたしが車に乗ってなくて、そのかわりにわたしみたいなわたしじゃない子が、わたしのふりをして車に乗ってるんだってことに、全然気付いてない! もう、なんでこうなっちゃったの? ほんとに楽しみにしてたんだよ、遊園地! わたしは悔しくて、わけわかんなくて、寂しくて、悲しくて、悲しくて……いろんなことがぐるぐる頭のなかで回って、ほんとによくわかんなくなって、とうとう泣いてしまった。誰もいない家の中でわんわん泣いた。泣いたってどうにかなるわけじゃないのは全然わかってるけど泣いた。すぐには、涙は止まんない。 しばらくたって、泣き疲れて、しょうがないから泣くのをやめて、ぼんやりと考えた。あの子はいったい誰なんだろう? 何のために、パパとママと遊園地に行っちゃったんだろう? なんでわたしと入れ替わっちゃったんだろう? わかんないことだらけだった。しかも考えたってわかるわけないことばっかりだった。でも気になる。遊園地の場所も名前もよくわかんないし(遊園地、としか言われなかったから)、そこへ行く方法も知らない。今行ってパパたちがいるかどうかも分からない。もう帰っちゃってるかも。昔のアニメの話みたいに、一人でそんな遠くに行くなんて、できない。だから、せめてあの子が何をしたいのか、それだけでも知りたかった。 どうすればいいの? ベッドに倒れこんだら、ぐうっておなかが鳴った。 時計を見たら十二時だった。 「あ―――――――!」 つまんない! つまんない! お昼ごはんも一人で食パンを食べただけだし、もともと遊園地に行くはずだったのに、わたしだけ行けなくなるなんて、つまんない! あの子、もし帰ってきたらただじゃおかないんだから! と、誰もいないのに怒っていてもしょうがないからテレビをつけてみたけど、日曜日の三時なんてわたしが見て面白いものなんて何にもやってない。つまんない。テレビを消そうと思って、リモコンを後ろのソファに置きっぱなしにしたのを思い出して、リモコンを取ろうとしてうしろを向いた。 そうしたら。 わたしはまた、とんでもないものを見ちゃったんだ。 「え――っ?」 なんと。目の前に、あの子がいたのだ。私の帽子をかぶって、わたしのとおんなじような服を着て、わたしとおんなじ顔をした女の子が、笑って立っている。 いつの間にうちに帰ってきたんだろう? 車の音も、ドアの開く音もしなかった。でも女の子はここにいる。パパとママはどこへ行ったんだろう。 「びっくりした?」 女の子がにこにこしながら聞いてきた。わたしはしばらく、よくわかんなくてぽかーんとしてたんだけど、だんだん頭に朝のことがわーって上ってきて、それで叫んだ。 「びっくりしたじゃすまないよ! わたしが遊園地行くはずだったのに! わたしが行きたかったのに、もう帰る時間じゃん、どうしてくれるんだよ!」 「ごめんごめん! 勝手に入れ替わっちゃって、ほんとにごめん」 女の子はなんかすごく楽しそうに言った。むかつくなぁ……ていうか。 「あんただれ?」 それが一番の問題だ。誰なのあんたは? 「んー……」 女の子はちょっと考えるふりをして、それからけろっと 「おばけ!」 って答えた。……おばけ? 本気で? 確かに突然現れたし、わたしそっくりだし、おかしくないけど。 「小百合ちゃんたちおみやげ買ってて、気づかないから、ちょっと抜けてきたんだ。おわびしようと、思って」 「おわび?」 あんまり話がつながってないんだけど、女の子はそんなことを言った。 「あたし、今日一日小百合ちゃんと遊んじゃったから、そのおわび」 「小百合ちゃんって誰?」 そんな人知り合いにいない。 「小百合ちゃんはまりちゃんのお母さんだよ。それで、まり子のおねえちゃん」 女の子……まり子っていうらしい……はまたけろっと言った。確かにママの名前は小百合なんだけど、ママに妹っていたっけ? 「んーとね、まり子、生まれて一年で死んじゃったんだって。よくわかんないけど」 なんだか他人事のようにまり子ちゃんは言った。でもそれはとっても大事なことなんじゃないのかなぁ……おばけだってことはよーくわかったけど。 「だから小百合ちゃんと遊んだこと、あんましなかったんだ。遊園地もいったことなかったし。でも小百合ちゃんは大人になっちゃって、もうまりちゃんって女の子がいるんだってわかって、あたしと名前すっごく似てるから、なんか入れ替われるんじゃないかって思っちゃって」 まり子ちゃんはちょっとさみしそうに、それから、こういうのなんて言うんだろう、バツが悪い、っていうのかな。そんな感じの顔をして、 「ごめんね。勝手にそんなことして。服も帽子も、小百合ちゃんも借りちゃって」 って言った。 これって、わたしはどう答えたらいいのかな? つまり、まり子ちゃんっていうこの女の子はママの死んじゃった妹で、ママと遊びたかったからわたしと入れ替わっちゃったっていうことみたい。わたしは怒ってもいいんだけど、でもなんかすっごく怒りづらい。 「でね、おわび。あたし、今日一日ずっと考えて、それでこうしたの。あのね、まだあたしたち、観覧車に乗ってないの。それで、最後にまりちゃんに、観覧車に乗ってほしいの」 「ほんとに?」 わたしは聞き返した。 「でも、どうやって行くの?」 わたしはおばけじゃないから、いきなり遊園地に飛んでいくなんてできない。でもまり子ちゃんは自信たっぷりでうなずいて、こう答えた。 「だいじょうぶ。あたしが連れてってあげるから」 言うが早いか、まり子ちゃんはわたしの手をつかんでジャンプした。するとふわぁ、って体が宙に浮いた。どんどん高くのぼっていっているような気がするんだけど、まわりの景色とかは全然見えなくて、ひゅーんって音だけが聞こえて…… でも、いきなり、ばしっと足が地面に付いた。それで気が付いたら、遊園地のおみやげ屋さんの前にいた。靴をはいていて、なくなった帽子も頭の上にある。でもまり子ちゃんはどこにも見当たらない。 「まりちゃん!」 まり子ちゃんを探してきょろきょろしていると、なんとママとパパがこっちにやってきた。ここは本当に遊園地なんだ! 「どこに行ってたの?」 「あ、えーっと……外にいた」 「あんまりふらふらしてると、迷子になるぞ」 「……はーい」 ママとパパと普通の会話をした。でもなんだか変な感じ。 「じゃあ、帰りましょうか」 ママがわたしの手を持って笑いかけた。そうか、もう帰る時間なんだった。でもせっかく今来たところなのに、帰っちゃうわけにはいかない。わたしはまり子ちゃんの言葉を思い出して、言った。 「あ……あのね、あのねママ! わたし観覧車乗りたいの! 最後に、いい?」 「うーん……パパ、どう?」 「そうだな、まあ乗ってなかったし、いいんじゃないか? 時間もそんなに遅くないしな」 「いいってよ、まりちゃん」 ママとパパがいいって言ってくれたので、わたしは観覧車に乗れることになった。 観覧車はおみやげ屋さんのけっこう近くにあって、ゆっくり歩いてもすぐついた。 「この観覧車、日本一大きいんですって!すごいわねー」 丸い形のゴンドラ(って言うのかなぁ、あれ)に乗って、ママが言った。ちょっと緊張するな。 ドアが閉まって、わたしたちの乗ったゴンドラはぐんぐんのぼってく。窓から遊園地が全部見渡せる。遠くの山や町まで見える。 「すごーい、あんなに遠くも見えるよ!」 「ひゃー、観覧車なんて何年ぶりだろうなぁ、ママ」 「そうねぇ、結婚する前じゃない?」 そんな風に話している間にもわたしたちはどんどん上っていって、ついにてっぺんくらいに来た。わたしはちょっと下を見るのが怖くなって、ふたりがけの空いたとなりの椅子を見た。そうしたらそこにはまり子ちゃんがいたのだ。さっきといっしょで楽しそうに笑ってる。 「ありがとう、まりちゃん」 今度はびっくりしなかった。 「こっちこそありがとう」 そういってあげると、まり子ちゃんはきょう一番の笑顔をして、立ちあがった。 「じゃあ、またいつかね」 そうか、ずっとはいられないんだ。おばけだから。わたしはとっさに帽子をとって、まり子ちゃんに渡した。 「え? これ……」 「もらって!」 「……いいの?」 「うん」 「じゃあ、これは返すよ」 まり子ちゃんは白い帽子から水色のリボンをするっと抜きとって、わたしに渡してくれた。 「じゃあ、ほんとに、じゃあね」 「ありがとう、じゃあね!」 わたしは水色のリボンを振って、まり子ちゃんがすぅっと消えていくのを見送った。 気付いたら観覧車は下りになったみたいだった。さっきとは反対で、どんどんおりていく。 パパとママの方を見たけど、ふたりとも窓の外を見ていて、こっちのことにはぜんぜん気付いてないみたいだった。 ゴンドラが降りきって、地面に立つと、パパが不思議そうに聞いてきた。 「あれ、まり、帽子は?」 「あ、あれ、友だちがどうしてもほしいっていったから、あげちゃったの」 「そうか、さっきまでかぶってた気がしたんだけどなぁ……」 わたしは笑ってうなずいた。ポケットの中に入れたリボンをぎゅっと握りながら。 +++ それからかなりの月日がたった。わたしは今や二児の母だし、リボンは色褪せてほつれてしまった。 あれ以来、わたしはまり子ちゃんには会っていない。でも、この古いリボンを見るたびに、あの不思議な出来事を思い出すのだ。そして、またいつかわたしそっくりの女の子がどこかに出てきてくれることを、ひそかに願っているのだった。 |